人気ブログランキング | 話題のタグを見る

猫又小判日記

miketa1025.exblog.jp

夢、おもうままに・・・

ブログトップ

Vol.59 『神猫さま』

Vol.59 『神猫さま』


氷川神社という、歴史の古い、大きな神社があります。

そこには時折、神猫さま(しんびょうさま)が現れます。

神社のお使い、あるいは守り神、

と私どもは思っているのでした。


やはりねこですから寿命はヒトよりも短く、

私どもがお参りするようになってから、

何度か代替わりしているようでした。


いちど、主人が塾の受験生の合格を祈りに行ったとき、

そのときの神猫さまは、賽銭箱の前を行ったり来たり、

うろうろして落ち着きません。

翌朝、合否が分かり、その子は残念ながら不合格でした。

いま思うに、神猫さまは、

「困ったのう。わしはこの者の願いを聞いてやりたいが、

結果は分かっておるんじゃよ。

でも、この者の一生懸命な気持ちは叶えてやりたいし・・・。

困ったのう」

と、行ったり来たりなさっていたんだと思います。


その神猫さまは茶っぽい毛色でしたが、

黒猫さまもおわしました。

その神猫さまは、まったくヒトを恐れず、

悠々と賽銭箱のあたりを横切ると、

端っこの方に行って、肉球を見せつけるように座って、

毛づくろいなどなさるのでした。


その氷川神社のあたりにはねこさんが多く、

通称ねこ屋敷がありました。

ねこ屋敷の奥さんは気のいい方で、

野良ねこさんたちに、ご飯を上げていました。

やはり、ねこ、とくに野良ねこさんは寿命が短く、

わたしどもを散々楽しませてくれた、個性豊かなねこさんたちも、

いつの間にか風が吹きすぎるようにいなくなり、

新顔のねさんに替わっているのです。


もともと、私どもの住むあたりはねこさんが多く、

東の横綱、またさん(勝手につけた呼び名で、

ねこまたに通じる神がかったものを持ったねこでした)、

西の横綱、クックさん(これは、そのあたりで共通した呼び名で、

飼い猫か、そうでないか、判然としません)、

この2匹がここら一体のねこさんの総元締めらしいのでした。


またさんは、娘の茶白を従え、

ごはんのもらえるマンションへの忍び込み方を教え、

それを私どもに見られたのがたいそう悔しかったらしいのでした。


また、クックさんは妖術を使うのか、

ネズミがふらふらとクックさんの方へおびき寄せられ、

クックさんはそのネズミをがぶりとくわえ、

ネズミの血がだらだらとクックさんの胸に滴っていたこともありました。


そんなねこさんがいる一帯をちょっと離れたところにも、

個性的なねこさんはいっぱいいました。

三毛猫で、ちょっと灰がかったねこさんを、

私どもはみけちゃんと呼んでいました。

みけちゃんは主人が好きらしく、

主人がすぐそばのコンビニで買い物をし、

帰ろうとすると、

遊びに行こうとしていたのを中止し、

おうちの前に戻って主人と遊んで下さったのです。

(間違ってもヒトが遊んであげた、などと言ってはいけません。

遊んでくださるのです)


最近では、奥さんがスイミングに行く途中の公園に、

チビちゃんとよんでいた茶トラのねこさんがいました。

チビちゃんは野良でしたが、

公園のアイドルで、みんなチビちゃんが好きでした。

あるおじいさんは、自転車を止めると、

「ちびり~ん、ちびり~ん」と呼んで

出てきたチビちゃんを可愛がっていました。


しかし、役人の馬鹿者が、事情も知らず、

「猫に餌をあたえないでください」と、

立て看板を立てました。


ねこは排泄しても、自分で始末をします。

犬を悪者にするつもりはありませんが、

犬の排泄物を片付けず、知らん顔して行ってしまう飼い主も、

結構おおいのです。


あるおねえさんが、チビちゃんが飢えて死んでしまうと、

ごはんを上げていました。

役人はそれを咎めました。

おねえさんは、毅然としてチビちゃんを胸に抱きあげると、

「あたしが連れて帰ります」と言って、

チビちゃんをおねえさんのおうちに連れて帰ってくれました。


チビちゃんは、いま、どんな暮らしをしているのでしょうか。

優しいおねえさんのもとだから、きっと大丈夫だと思います。

私どもは思います。

チビちゃんも、ある種の神猫さまだったのでは?と。


奥さんはチビちゃんのおかげで、

クロール25mが泳げるようになりました。

でも、もう飼い猫になってしまったので、

会うことが出来ません。


あらたな神猫さまの出現を待つばかりです。


Vol.59   『神猫さま』_c0244224_20442392.jpg


# by miketa1025 | 2023-04-11 20:44 | 文学 | Comments(0)

Vol.58 『めがねのくらしまさん』


涼子さんは強度の近眼でした。

涼子さんのお父さんもお母さんも、お兄さんも近眼です。

ですから、涼子さんは眼鏡なしには暮らして行けません。


「めがねのくらしま」さんという眼鏡屋さんがありました。

涼子さんがインターネットで検索し、見つけたお店です。

旦那さんの仕事場に近いこともあり、

最初はいまある眼鏡の修理だけのつもりで訪ねました。


店主のくらしまさんはまだお若く、

しかし、腕は確かで、お会計は採算度外視です。

涼子さんは今ある5,6本の眼鏡を修理してもらい、

2000円です、というくらしまさんの言葉に、

間違いではないかと、聞き直してしまいました。


もともと修理専門のお店だったらしく、

大抵の眼鏡はその場で修理してくださることが多いのです。

すっかり、くらしまさんのお店の虜になってしまった涼子さんは、

次に、やや度の強い眼鏡を新調していただくことにしました。

くらしまさんは、フレーム選びの助言もしてくださいます。

でも、あくまでもお客様主導。

くらしまさんはアドバイスして下さる程度です。


涼子さんの眼鏡の好みのフレームは、大体決まっています。

上辺の形が真っ直ぐ。

縁のいろは赤系。

鼻あては可動タイプ。

それらを告げると、くらしまさんは、

ピッタリのフレームを探してきてくださいました。

お値段も、以前の眼鏡屋さんの三分の二程度。


そこで、すっかり気に入ってしまった涼子さんは、

さらにもう1本、近視用眼鏡を新調しました。

今度はやや細身の、でも好みの三点は外さない眼鏡が出来上がりました。


さて、やはり近眼の、お母さんの眼鏡新調の出番です。

涼子さんのお母さんも近視がひどいので、

眼鏡をたくさん持っています。

修理もしていただこうと、

ありったけの眼鏡を持ち込みました。

でも、くらしまさんは嫌な顔一つせず、

お母さんの眼鏡を修理し、

眼鏡新調に関して、フレームのアドバイスもしてくださいました。

お母さんもくらしまさんのファンになりました。


今度は旦那さんの番です。

老眼鏡をふたつ作っていただきました。

会社用と、自宅用に1本ずつ、

あつらえていただいたのです。


だいぶ間をおいて、涼子さんは、

度の強い、前の眼鏡は外出用ですので、

普段使いの眼鏡を新調しようと思い立ちました。

そのときは旦那さんが立ち合い、

フレームはいままでの赤系とはちょっと違う、

昔のお父さんがかけるみたいな黒縁のものです。

涼子さんはそれがひどく気に入り、

それからというもの、そればかりかけています。


さて、またもや旦那さんの番です。

年を取り、近視も進んだ旦那さんは、

近視用眼鏡を新調することにしました。

もちろん、お店はくらしまさんのお店です。


今度は涼子さんは行かず、旦那さん一人で行きました。

すると、お会計を聞いたら、びっくりするほど安かった!

と、興奮気味に語りました。

それを聞いた涼子さんは、くらしまさんのお店を、

ますます気に入ってしまいました。


そして、まだ料金の算段は付いていませんが、

そのうち涼子さんも老眼鏡を作ろう、と決めました。

あとでその辺に詳しい友人に聞くと、

くらしまさんのお店は、知る人ぞ知る名店だそうです。

ご縁に感謝!です。


くらしまさんがあのお店をやっている限り、

家族中お世話になることは想像に難くありません。

くらしまさん、ありがとう!


Vol.58   『めがねのくらしまさん』_c0244224_11322501.jpg


# by miketa1025 | 2023-04-09 11:32 | 文学 | Comments(0)

Vol.57 『死ぬ前に食べたいもの』


ゆり子さんは考えます。

自分がいざ死ぬときに、ものを食べられる状態かどうかは、まったく未知です。

でも、もしなにかを食べられる胃や腸があり、

食欲もそれなりにあったら、ゆり子さんは何が食べたいと思うだろう?と。

それは、珍しい料理や珍味でもなく、ラーメンや世界の料理でもありません。

ただただ、炊きたてのご飯と、野菜がたくさん入ったお味噌汁、なんです。

 

この考えの元は、土井善晴先生の、「一汁一菜でよいという提案」という御本にあります。

土井先生の御本は、ご興味がある方はお求め下さい。


しかし、この本に出会う前から、ゆり子さんは、最後の食事は、炊きたてごはんとお味噌汁だと思っていました。

土井先生の御本でそれが力強く後押しされたかたちで、有り難く思うのでした。


お味噌汁って、なんてホッとする食べ物だろう。

とくに寒い冬やエネルギーが入っていない朝の食事でいただくお味噌汁は、

いのちをいただく気がするのです。

それから、タイマー付きの炊飯器ではありますが、ごはんが炊けてくる香りは、なんと豊かなんだろう。いつもそう思います。


ゆり子さんのお父さんは、晩年、悪性リンパ腫を患い、10歳若いお母さんが、介護のすべてを担っていました。

きつい塩分制限に、お父さんはお母さんを憎んだこともありました。

それでもお母さんは頑張り、ある日お粥を炊きました。とろ火で、ときおりお鍋を揺らして、火のそばを離れることなく、愛情を込めて作りました。

それを食べたお父さんはポツリと、「あんたのお粥はおいしいよ」と、お母さんに言いました。


それだけではありません。ゆり子さんの旦那さんは料理を厭いませんが、

旦那さんの作るお味噌汁、

とくに名古屋に5年赴任した旦那さんの得意とする赤だしのお味噌汁は、

本当にホッとする味です。

同じ具材、同じ味噌、同じ出汁を使っても、

旦那さんの作る赤だしの方が、何万倍も美味しいと思います。

旦那さんの愛情が入っているからです。


旦那さんもゆり子さんも、お出しは入念に取ります。

ここ2,3年は、おにしめ昆布という三陸の昆布と、

手火山という静岡のかつおぶしを使ってお出しを取るので、

少々塩分がなさすぎても、

野菜の入れ方が悪くて、野菜が鮮やかでない色になってしまっても、

この、おにしめ昆布と、手火山のかつおぶしの旨味が、

カバーしてくれるのです。

さらに、このおにしめ昆布は、お出しを引いて、そのまま食べられるので、

ヨードや食物繊維なども摂れ、有り難い存在です。


死ぬ前に食べたいもの。

その区切りがなくとも、炊き立てのご飯は欠かせないものですし、

お味噌汁も、やや疲れ気味のときは、

野菜スープにしてしまうこともありますが、

ほぼ、通年ゆり子さんの家の食卓にあるのです。


ある、静岡にあるお菓子屋さんで、

旦那さんもゆり子さんも、大ファンであるお店があります。

そこの親方は、お菓子を作りながら、

「おいしくな~れ、おいしくな~れ」と、言いながらお菓子を作るそうです。

ゆり子さんも旦那さんの健康のことを考えながら、

「おいしくな~れ」と呟いています。


旦那さんとゆり子さん、

どちらが先に逝ってしまうか分かりません。

でも、旦那さんが先だったりしたら、

ゆり子さんは炊き立てのご飯とお味噌汁、

喉を通らないような病状なら、

お粥か重湯を作ってあげたい、と思います。

反対にゆり子さんが先なら、やっぱり同じようにしてほしいな、

と思うのです。


日本人は米食民族です。

ゆり子さんの家では贅沢をして、

山形県の「つや姫」というお米を買っています。

ほんとうにもっちりとして、

炊きあがりは輝くほど美しい。

いつも、炊きあがって炊飯器の蓋を開けると、

うっとりしてしまいます。


そして、ご飯を大事にして、

野菜やお味噌にもこころを込めて、

「調理」をすれば、

死ぬ前に、炊き立てごはんとお味噌汁、という希望が、

叶う気がするのです。


Vol.57   『死ぬ前に食べたいもの』_c0244224_13342394.jpg


# by miketa1025 | 2023-04-06 13:34 | 文学 | Comments(0)

Vol.56 『柴犬のとこまる』


あるおうちにオスの柴犬が飼われていました。

とことことよくお散歩をするので、

「とこまる」と名付けられました。


とこまるは、実は保護犬でした。

飼い主のお母さんは、殺処分になる犬や猫を、

見ていられないので、

おうちを引っ越して、犬を飼える状況になったのを機に、

保健所へ出向いたのです。


保健所へ行くと、金網越しに、

どの犬も「あたしを飼って!」「助けてください」

と言って、期待に満ちた目でこちらを見るので、

お母さんはたまらなくなりました。

とこまるは、吠えもせず、じっとお母さんを見つめていました。

お母さんは、とこまるに言い知れぬ縁を感じ、

ほかの犬を見ないようにして、

とこまるを引き取る手続きをしました。


とこまるは、最初おうちに連れて帰った日、

ずいぶん保健所が辛かったのでしょう、

なにも食べようとしませんでした。

でも、お母さんは焦らず、とこまるのお皿にごはんを盛って、

辛抱強くとこまるが食べるのを待ちました。

その間、お母さんは、とこまるを撫でながら、

「とこまる、辛かったね、苦しかったね、

でももう大丈夫、お母さんがとこまるを幸せにするから、

あんしんしてごはんをおあがり」

と、話しかけました。


翌朝、とこまるはとことことお母さんのところに行くと、

「わん」と、一声鳴きました。

そして、お母さんが盛り直してくれたごはんを、

ガツガツと食べました。

お母さんは、とこまるのそんな様子を見て、

泣きそうになりました。


さあ。ごはんが済んだら、お散歩デビューです。

お母さんは、とこまるのために素敵なハーネスを用意していました。

とこまるはオスなので、ブルーのハーネスです。


お母さんのおうちは、都会に在りましたが、

近所に大きな公園があるのです。

そこにはドッグランもありました。

せまい檻のなかで何日も暮らしたとこまるは、

見るもの聞くもの、目新しく、嬉しく、

引き具を持ったお母さんを、何度も何度も振り返りながら、

お散歩デビューを果たしました。

ドッグランでは、嬉しくて嬉しくて、

これがとこまる?と思うほど、

元気に走り回りました。


それにしても、お母さんが思うのは、

保健所に残してきた、他の犬たちでした。

日が変わったので、あの中には、

もう殺処分されてしまった犬もいるはずです。

みんな引き取るわけには、もちろんいきません。

どうか、いい飼い主さんが現れて、

引き取っていってくれますように。

そう祈るしかありませんでした。


とこまるは、日が過ぎていくにつれ、

とても愛らしい犬であることが分かりました。

柴犬はみんなそうかもしれませんが、

薄茶の毛並みで、耳がピンとし、尾も巻き上がって、

お散歩に連れて行くと、

「あら、可愛い!」と、

いろいろな犬を連れた飼い主さんたちが、

声をかけてくれます。

とこまるはお行儀がよく、ほかの犬に吠えかかったり、

喧嘩したりしません。

そしていつも、とことこと、お母さんに連れられて、

大好きなお散歩を楽しむのです。


ある日、とこまるをお散歩に連れていったお母さんが、

急に心臓発作を起こし、道端で倒れてしまったのです。

あいにく、あたりに人はいません。

お母さんの手から離れたハーネスを引きずって、

とこまるは向かいにあるおうちの前で、

激しく鳴きました。

いぶかしそうに出てきた奥さんは、倒れたお母さんを発見しました。

奥さんはとこまるの意図をすぐ理解し、

持っていた携帯電話で119番しました。


お母さんはすぐに来た救急車に運ばれ、

救命措置を取られました。AEDです。

幸いなことに、お母さんは意識が戻りました。

でも、救急車で病院に連れていかれることになりました。


向かいの奥さんは、すぐにとこまるを預かり、

心配ないように、と、お母さんに言いました。

お母さんは安心しました。

そして、かすれた声で、

「帰ってくるまで、とこまるをおねがいします」

と、やっとの思いで奥さんに伝えました。


とこまるは、わん!と一声、奥さんに鳴きました。

「よろしくおねがいします」のつもりで。

お母さんは、幸い命に別状はなく、

1週間もすれば帰ってこられると、先生に言われました。

最初に救急車を呼んだのが奥さんでしたから、

奥さんの電話番号の履歴がのこり、

奥さんのところにも、状況が伝えられました。


奥さんは、とこまるに言いました。

「とこまる君、お母さんはじきに帰って来るよ。よかったねえ」

と。

どの動物もそうですが、

犬も人間の言葉を理解します。

とこまるは嬉しくて、「わん、わん、わん」と、

三度鳴きました。

お母さんが帰って来るのももうすぐです。


おりしも咲き誇っていた桜が、散り始めました。

とこまるは、お母さんが治ったら、

またドッグランに連れて行ってもらおうと、

楽しみにしているのでした。


Vol.56   『柴犬のとこまる』_c0244224_11354043.jpg


# by miketa1025 | 2023-04-05 11:36 | 文学 | Comments(0)

Vol.55 『死ぬまでに行きたいところリスト』


ゆり子さんは、「死ぬまでに行きたいところリスト」を持っていました。

別に死が迫るような病気をしている訳でもなく、

死に向き合わざるを得ない高齢者でもありません。

それでも、行けるか行けないかはわかりませんが、

そのリストを、大事に日記帳に挟んでいました。


まずは、ナイアガラの滝。

何十トン?何百トン?と言う水が落ちてくる、

とにかく無条件に、それを眺めてみたいのでした。


次に、聖墳墓教会。

イスラエルにあり、キリストの処刑と埋葬、

そして復活の地として知られています。

ゆり子さんは、どちらかといえば無宗教、

せいぜい墓参りを好む程度のいい加減なブッディスト、

イエスキリストに知識もありません。

しかし、テレビで聖墳墓教会の映像を見たとき、

物見遊山ではなく、これは一度は足を運ばなければ、と思ったのです。


それから、中国のお寺、少林寺。

カンフーに憧れ、太極拳も12年やったゆり子さんですから、

少林寺拳法の聖地、少林寺に興味を持つのも無理はありません。

いまでは観光地化している、という噂も耳にしますが、

やはり一度は行ってみたいのです。


そしてハワイ。

日本人でハワイに行ったことがない人は珍しいかもしれません。

よく映像で目にする、広大な海と、椰子の木。

旦那さんとふたりで行きたいな、と思います。


さて、「死ぬまでに行きたいところリスト」は、

海外だけではありません。

国内なら、旅好きの旦那さんも巻き込んで、

溢れ出るように場所が浮かんできます。


ゆり子さんが今、一番行きたいと思っているのは、

京都の伊根の舟屋です。

なぜか、断崖絶壁のようなところから、はるか下の、

きらきら光る海の、岸壁沿いに板が渡してあり、

そこを憧れをもって覗いている。

そんな夢をたびたび見ていました。

あるとき、ある媒体で伊根の舟屋の写真をみたとき、

「あ!私が夢に見ているのはここだ!」と、

はげしく合点してしまったのです。


実はここは、「行ってみたい」のとは、少し異なります。

旦那さんと、新婚旅行の際、行っているのです。

それが、目に焼き付いてしまったのでしょうか?

自分では、忘れていたつもりなのですが。

行くなら、海がぎらぎら輝く夏がいいです。


それから、京都に集中してしまいますが、

伏見稲荷と八坂神社。それから相国寺。

ぜひ、2泊ぐらいして、ゆったりと回りたいものです。

伏見稲荷は、とくにお稲荷様の総大将のような存在らしいので、

普段からお稲荷様にお参りをよくするゆり子さんは、

ここは死ぬまでには行ってみたいわ、と、

常々思っているのでした。


死ぬまでは、死ぬまではと連呼するゆり子さんでしたが、

実際、還暦の誕生日を過ぎ、

年々からだの衰えも感じるようになり、

すでに同級生は何人も亡くなり、

あながち「死ぬまでに」を繰り返すのも、

分かるような気がします。


それから、沖縄!

ハワイとちょっと通じるところもありますが、

南国情緒あふれる沖縄は、やっぱり憧れの地です。

今は沖縄料理店で、沖縄そばにさんぴん茶など食して、

行った「つもり」になっていますが。


それから、ゆり子さんは博多より南に行ったことがありません。

長崎は、旦那さんも、ゆり子さんのお兄さんも、

つい最近行ってきて、ゆり子さんも行ってみたくなりました。

もちろん被爆の地だということも、

ゆり子さんは考えるところがありました。

広島は行っていますが、長崎は一度は行っておかなくては、と、

責務のようなものを感じるのです。

まだ、体力のあるうちに、行っておきたいのです。


そして、あっちこっちになりますが、

たぶん行けないけど、の注釈付きで、

恐山に行ってみたいのです。

ですが、霊感こそないものの、精神的に敏感なゆり子さんは、

見えないものまで見てしまうかもしれない。

だから、多分旦那さんはゆり子さんの恐山行きを、

押しとどめると思います。


リストはまだまだいっぱいありますが、

とりあえず、近々舘山寺温泉に行く予定です。


死ぬまでに行きたいところも、

そうでないところも、

旦那さんと一緒だから楽しいのです。


リストをひとつずつつぶしていくつもりはありません。

旦那さんと、行けるときに行ける所へ、

またご縁のあったところへ、

足を運びたいなあ、と思うのです。

リストは未完のままでいいのです。

そういうリストをもっていることを、

ゆり子さんは幸せに思うのでした。


Vol.55   『死ぬまでに行きたいところリスト』_c0244224_17065338.jpg




# by miketa1025 | 2023-04-01 17:07 | 文学 | Comments(0)

by 石井綾乃